大須富士浅間神社に案内板があるのですが、それに従い「七寺(ななつでら)」を目指しました。
案内板によると、ここから200mとのこと・・。
その方向に少し歩くと、大通りに「七寺」と書いた大きな看板もあり、すぐに見つかりました。富士浅間神社から歩いて4、5分です。
こちらは正式には 稲園山正覚院 長福寺(ちょうふくじ)と言います。真言宗智山派のお寺です。
境内に入ってまず目を引くのは、本堂前左側にいらっしゃる大きな大日如来さまです。この像が作られたのは江戸・寛政年間と伝わっています。
この大日如来像は第二次大戦の激しい戦火をくぐり抜けて来られたのですが、その時に肩や手首などにできた傷を、銅の板で修復した形になっています。それが戦いの激しさを感じさせるとともに、痛々しい気持ちにさせられます。
それではまず御朱印からご紹介しましょう。
七寺の御朱印
こちらでいただいた御朱印はこれです。
中央には、「大勢至聖観音両菩薩」とあり、「稲園山 七寺」と書いてあります。
ちょっと調べましたら、大勢至菩薩は阿弥陀三尊の右脇侍で、迷いと戦いの苦しみから、その知恵で人を救ってくれる仏様、聖観音菩薩は1面2臂で慈悲を持って人々を救う仏様、だそうです。
七寺の境内風景
お寺の入り口と寺票
正面に鳥居があります。(本堂側から撮影しました)
本堂
稲荷社
納経所。御朱印はこちらでいただけます。
境内にあった仏像
長福寺が七寺と呼ばれる所以
そもそもこのお寺は、天平7年(735年)に行基が開山した「正覚院」がその元となっています。
その後、延暦6年(787年)に、河内権守だった紀是広が7歳の我が子が亡くなったことで、その追悼に七堂伽藍を建てたことから「七寺」と言われるようになったそうです。
七寺の戦前・戦後
ここ七寺は第二次世界大戦の名古屋大空襲の前と後ですっかり様相が変わったようです。
江戸時代には芝居小屋が3つもあったそうですし、明治時代には境内に愛知教育博物館や愛知県商品陳列館が開館していました。茶店があったり、いろんな露店が連なったりしていました。その後閉館などもありましたが、戦前は広い敷地を有していたそうです。
しかし空襲で七堂伽藍のほとんどが消失。再建の声もあったようですが結局敷地のほとんどは戦後の再開発として大須の町の一部となっていったそうです。
失礼ながら小さなお寺だなと思ったのですが、そんな歴史があったんですね。
それではこのお寺のデータです。
DATA
名 称:稲園山 正覚院 長福寺(ちょうふくじ)/七寺(ななつでら)
住 所:愛知県名古屋市中区大須二丁目28番5号
電 話:052-231-1715
宗 旨:真言宗智山派
創 建:天平七年(735年)行基によると伝わる
札 所:東海三十六不動尊第九番霊場、名古屋二十一大師第二番霊場
御本尊:聖観世音菩薩
ホームページ:http://www.ohsu.co.jp/ohsu/nanatera.html
(個人の方のホームページです)
交 通:名古屋市営地下鉄鶴舞線 大須観音駅2番出口から徒歩6分、地下鉄鉄鶴舞線・名城線 上前津駅から徒歩7分
主な行事
1月1日 新春元朝護摩祈祷会
旧2月初午 初午大祭大般若祈祷会
春分の日 春季彼岸法要
8月19日 孟蘭盆施餓鬼会
秋分の日 秋季彼岸法要
11月酉の日 大須酉の市
毎月18日 観世音菩薩御縁日
次回は名古屋市千種区の高牟神社をご紹介する予定です。
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