名古屋東照宮・福神社を後にして、次に向かったのが那古野神社(なごやじんじゃ)です。
向かった・・と言っても、東照宮の隣ですが。(^_^; 裏道で繋がっています。
余談ですがてっきり「なごのじんじゃ」かと思っていましたが「なごや」なんですね。市や駅の名前はもちろん「名古屋」ですが、これも元はと言えば「那古野」と書いていたそうです。
こちらの神社でも御朱印がいただけることは確認して行ったのですが・・・。残念なことに宮司さんがご不在だったようで・・・
いただくことができませんでした。いつかまた名古屋に行ったときにはぜひまたお寄りして、今度はいただいてきたいと思います。
那古野神社の御朱印
ということで、私がいただいた御朱印画像はないのですが、ツイッターに投稿されていたものから埋め込みさせていただきます。おいら様、勝手ながらお借りします。
こちらの御朱印はこんな感じです。
【御朱印めぐり】20181114
那古野神社(愛知)に行ってきました。
津島牛頭天王社(現・津島神社)を総本社とする天王社のひとつです (*'▽')
三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされました。#御朱印 #那古野神社 pic.twitter.com/IRR8shT4G3— おいら (@oira_niconico) November 23, 2018
他の方の画像を見ても、ページ全体にいっぱいに書いてあるようですね。大らかな感じがなかなかいいです。
いつか私もいただいたら、画像を差し替えますね。
那古野神社の境内風景
ビル街の近くなんですが、とても静かな神社です。ゆったりした時間が流れている感じです。
拝殿
手水舎
御神木。立て看板によると、『厄除の公孫樹』といい、太平洋戦争で消失したものが、その後2、3年で新しい芽を出してこの立派な木になったそうです。
御朱印は拝殿右隣の社務所にて
摂末社・福壽稲荷社
赤い鳥居が並びます
摂末社・金山神社
改めてネット記事を読むと、宮司さんがいらっしゃらないことも割とあるようですね。御朱印をいただきたい人は事前にお電話をしてから行った方が確実かもしれません。
那古野神社の歴史
こちらの創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)だそうです。天文元年(1532年)にあった合戦で社殿を焼失したそうですが、その後、織田信秀によって再建され、慶長15年(1610年)、名古屋城が築城された時に三の丸の郭内に取り込まれ「三之丸天王社」と呼ばれるようになったとのこと。
その時にも三之丸東照宮(現在の名古屋東照宮)と隣接して鎮座していたそうですが、その後、明治9年(1876年)に、東照宮とともに現在地に遷座しました。
明治になって名称が「須佐之男神社」と変わり、さらに明治32年(1899年)に「那古野神社」と改称されました。
那古野神社の例大祭は7月に行われる「天王祭」ですが、これは名古屋東照宮の「東照祭」・若宮八幡社の「若宮祭」と並んで、今も名古屋三大祭と言われて大変賑やかに行われます。
2016年の天王祭の様子を撮影した動画があったのでお借りします。大通りを練り歩く姿は、大都市のお祭りって感じですね。
それではこちらの神社のデータをまとめます。
DATA
名 称:那古野神社(なごやじんじゃ)
住 所:愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3-17
電 話:052-231-4030
ホームページ:なし
創 建:元和5年(1619年)9月17日
御祭神:須佐之男神(すさのおのかみ)、奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)
交 通:
名古屋市営地下鉄 桜通線「丸の内」駅より徒歩5分、鶴舞線「丸の内」駅より徒歩3分
バス 景雲橋下車南に徒歩3分、外堀本町下車徒歩3分
車 名古屋高速丸の内IC下車3分
主な行事
1月 朮火祭
7月 天王祭
次回はこの次に回った、愛知県護国神社をご紹介します。
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