前回まで広島駅の北の社寺をご紹介しましたが、今回と次回、もう少し南に行って、広島市南区・比治山のお寺と神社をご紹介します。
南区に比治山という小山があり、その山全体が比治山公園という大きな公園となっています。その比治山公園の西側の登り口近くに「多聞院(たもんいん)」はあります。
昨年の5月ですが、そちらにお参りし、御朱印をいただきましたので境内の様子とともにご紹介します。
多聞院の御朱印
こちらの御朱印はこれです。
御本尊である「毘沙門天王」と書いてあり、左下の印は「廣島市比治山多聞院」とあります。
右上の印は「廣島新四国八十八箇所第五十四番」と書いてあります。
御朱印は、毘沙門天本堂の左にあるこちらの建物でいただきました。
多聞院の風景
広島駅から広島電鉄の比治山経由広島港行き市内電車(比治山線)に乗って4つ目「比治山下」電停で降りるとすぐに多聞院に上がる道の入口があります。
ここを上っていきます。
しばらく歩くとこういう石柱があり
こんな可愛い石板もありました。
多聞院に到着です。
毘沙門天本堂
金剛杖
護摩堂(だと思います・・)
毘沙門会館(信徒会館)
十三塔。奇跡的に原爆の被害を免れたそうです。(爆心地から1.7km)
鐘楼。この鐘楼も原爆で破壊されなかったそうです。(鐘楼は1934年建立、鐘は1949年に鋳造されました)
境内には色々な仏像、観音像が置いてあります。
桐木延命地蔵尊
水子地蔵尊
後生車
仏足石
新西国三十三ヶ所霊場・新四国八十八ヶ所霊場総拝所と書かれた看板がありました。
「総拝所」という意味がわからないのですが、「一巡の時間」と書いてあるところを見ると、ここで一巡することで、それぞれを廻ったような形になるんですかね・・・。お分かりの方、教えてください。
なお、多聞院は広島新四国八十八ヶ所霊場54番の札所です。
離苦離怖畏地蔵尊
比治山公園は広島市民の憩いのスポットとして有名なひとつです。広島市現代美術館では日本や海外の芸術家の作品が鑑賞できますし、広島市まんが図書館、展望台などがあり、もちろん森林浴やウォーキングも楽しめます。次にご紹介予定の比治山神社も近くです。
多聞院の歴史
これはこちらの壁に埋め込まれていた説明板にあった文章を引用させていただきます。
多聞院 毛利氏が郡山城下吉田に建てた真言宗寺院である。広島城築城とともに三滝山麓に移され、さらにこの地に移されたのは慶長9年(1604)、福島氏の時代である。この地の鐘楼、十三塔は奇跡的に原爆による破壊を逃れている。
境内には「日本外史」を著した頼山陽の一族の墓と儒学者で浅野藩に仕えた植田艮背(うえだこんぱい)の墓があり、いずれも県指定の史跡となっている。
とあります。
郡山城下吉田というのは現在の安芸高田市吉田町、三滝山麓は現在の広島市西区にあたり、どちらも比治山からはかなり遠い場所です。お寺もいろんな歴史があるものですね。
毘沙門天は仏教の「四天王」の一人として「北方の守護神」とされています。七福神の一人でもあり、甲冑を着て忿怒の表情をされています。日夜、法を聞くということで「多聞天(たもんてん)」とも呼ばれます。
武神・守護神として、また財宝を施す神として、崇められています。
今も特に勝負事や何かを成し遂げたい時のご利益があるとされています。
それでは多聞院のデータをまとめておきます。
DATA
名 称:吉祥山多聞院(きっしょうざん たもんいん)
(正式名:金剛吉祥如意宝珠山 光明遍照寺 多聞天王院)
宗 派:真言宗御室派
院 号:多聞天王院
住 所:広島県広島市南区比治山町7-10
電 話:082-261-1764
本 尊:毘沙門天
創 建:天文年間(1532年〜1555年)と伝わる
開 基:毛利家
中興年:慶長9年(1604年)
中 興:福島正則
札 所:広島新四国八十八ヶ所霊場54番
交 通:広島電鉄市内電車・比治山経由広島港行き(比治山線)に乗って広島駅から4つ目「比治山下」電停下車2分
御朱印お志: 300円
次回は多聞院から少し行ったところの比治山神社をお伝えする予定です。
⇒中国地方で御朱印がもらえる神社・お寺リスト
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